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1-13 翔の新たな要求 1

last update Last Updated: 2025-04-30 21:12:27

 明日香が10年分の記憶を失い、高校生だと思い込んでいる話は朱莉にとってあまりにもショッキングな話であった。

「朱莉さん、大丈夫かい? 顔色が真っ青だ」

「は、はい。大丈夫です。でもそうなると今一番大変なのは翔先輩ではありませんか?」

朱莉は翔のことが心配でならなかった。あれ程明日香を溺愛しているのだ。17歳の時、翔と明日香は交際していたのだろうか? ただ、少なくとも朱莉が入学した当時の2人は交際しているように見えた。

「朱莉さん、翔が心配かい?」

琢磨が少し悲し気な表情で尋ねてきた。

「はい、とても心配です。勿論一番心配なのは明日香さんですけど」

「やっぱり朱莉さんは優しい人なんだね」

(あの2人に今迄散々蔑ろにされてきたのに……それらを全て許して今は2人をこんなに気に掛けて……)

「何故翔さんは九条さんに連絡を入れてきたのですか? それに、どうして九条さんから私に説明することになったのでしょう?」

朱莉は琢磨の瞳をじっと見つめた。

「俺も、2日前に翔から突然メッセージが届いたんだよ。あの時は驚いた。翔と決別した時に、アイツはこう言ったんだよ。互いに二度と連絡を取り合うのをやめにしようと。こちらとしてはそんなつもりは最初から無かったけど、翔がそこまで言うのならと思って自分から二度と連絡するつもりは無かったんだ。それなのに突然……」

そして、琢磨は近くを通りかかった店員に追加でマティーニを注文すると朱莉に尋ねた。

「朱莉さんはどうする?」

「それでは私はアルコール度数が低めのお酒で」

「それなら、『ミモザ』なんてどうかな? シャンパンをオレンジジュースで割った飲み物だよ。アルコール度数も8度前後で、他のカクテルに比べると度数が低い」

琢磨はメニュー表を見ながら朱莉に言った。

「はい、ではそちらを頂きます」

「かしこまりました」

店員は頭を下げると、その場を立ち去っていく。すると琢磨が再び口を開いた。

「明日香ちゃんは自分を高校生だと思い込んでいるから、当然翔の隣にはいつも俺がいるものだと思い込んでいるらしいんだ。考えてみればあの頃の俺達はずっと3人で一緒に高校生活を過ごしてきたようなものだからね。それで明日香ちゃんが目を覚ました時、翔に俺のことを聞いてきたらしい。『琢磨は何処にいるの?』って。それで一計を案じた翔が明日香ちゃんを安心させる為に、もう一度3人で会いた
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    「それじゃ、朱莉さん。次は翔から何か言ってくるかもしれないけど、くれぐれもアイツの滅茶苦茶な要求には答えたら駄目だからな?」タクシーに乗り込む直前の朱莉に琢磨は念を押した。「九条さんは随分心配性なんですね。私なら大丈夫ですから」朱莉は笑みを浮かべた。「もし翔から契約内容を変更したいと言ってきたら……そうだな。まずは俺に相談してから決めると返事をすればいい」するとタクシー運転手が話しかけてきた。「すみません。後が詰まってるので……出発させて貰いたいのですが……」「あ! すみません!」琢磨は慌ててタクシーから離れると、朱莉が乗り込んだ。車内で朱莉が琢磨に頭を下げる姿が見えたので、琢磨は手を振るとタクシーは走り去って行った。「ふう……」タクシーの後姿を見届けると、琢磨はスマホを取り出して、電話をかけた。「もしもし……はい。そうです。今別れた所です。……ええ。きちんと伝えましたよ。……後はお任せします。え? ……いいのかって? ……あなたなら何とかしてくれるでしょう? それだけの力があるのですから。……失礼します」そして電話を切ると、夜空を見上げた。「雨になりそうだな……」**** 翌朝――6時朱莉はベッドの中で目を覚ました。昨夜は琢磨から聞いた翔の伝言で頭がいっぱいで、まともに眠ることが出来なかった。寝不足でぼんやりする頭で起きて、着替えをするとカーテンを開けた。「あ……雨……。どうりで薄暗いと思った……」今日は朱莉の車が沖縄から届く日になっている。車が届いたら朱莉は新生児に効かせる為のCDを買いに行こうと思っていた。これから複雑な環境の中で育っていく子供だ。せめて綺麗な音楽に触れて、情操教育を養ってあげたいと朱莉は考えていた。洗濯物を回しながら朝食の準備をしていると、翔との連絡用のスマホに着信を知らせる音楽が鳴った。(まさか、翔先輩!?)朱莉はすぐに料理の手を止め、スマホを見るとやはり翔からのメッセージだった。今朝は一体どんな内容が書かれているのだろう? 翔からの連絡は嬉しさの反面、怖さも感じる。好きな人からの連絡なのだから嬉しい気持ちは確かにあるのだが問題はその中身である。大抵翔からのメールは朱莉の心を深く傷つける内容が殆どを占めている。(やっぱり契約内容の変更についてなのかなあ……)朱莉はスマホをタップした。『おは

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    「本当はこんなこと、朱莉さんに言いたくは無かった。だが翔が仮に今の話を直接朱莉さんに話したとしたら? 恐らく翔のことだ。きっと再び朱莉さんを傷付けるような言い方をして、挙句の果てに、これは命令だとか、ビジネスだ等と言って強引に再契約を結ばせるつもりに違いない。だがそんなこと、絶対に俺はさせない。無期限に朱莉さんを縛り付けるなんて絶対にあってはいけないんだ」琢磨は顔を歪めた。(え……無期限に明日香さんの子供の面倒を? それってつまり偽装婚も無期限ってこと……?)なので朱莉は琢磨に尋ねた。「あの……それってつまり翔さんは私との偽装結婚を無期限にする……ということでもあるのですよね?」(そうしたら、私……もう少しだけ翔先輩と関わっていけるってことなのかな?)しかし、次の瞬間朱莉の淡い期待は打ち砕かれることになる。「いや、翔の言いたいことはそうじゃないんだ。当初の予定通り偽装婚は残り3年半だけども子育てに関しては明日香ちゃんが記憶を取り戻すまで続けて貰いたいってことなんだよ」「え……?」「つまり、翔は3年半後には契約通りに朱莉さんと離婚して、子供だけは朱莉さんに引き続き面倒を見させる。しかも明日香ちゃんが記憶を取り戻すまで、無期限にだ。こんな虫のいい話あり得ると思うかい?」「……」朱莉はすっかり気落ちしてしまった。(やっぱり……ほんの少しでも翔先輩から愛情を分けて貰うのは所詮叶わないことなの? でも……)「九条さん」朱莉は顔を上げた。「何だい」「私、明日香さんと翔さんの赤ちゃんを今からお迎えするの、本当に楽しみにしてるんです。例え自分が産んだ子供で無くても、可愛い赤ちゃんとあの部屋で一緒に暮らすことが待ちきれなくて……」「朱莉さん……」「九条さん。もし、子供が3歳になっても明日香さんが記憶を取り戻せなかった場合は、翔さんは私に引き続き子供を育てて欲しいって言ってるわけですよね? それって……翔さんは記憶の戻っていない明日香さんにお子さんを会わせてしまった場合、お互いにとって精神面に悪影響が出るのではと苦慮して私に預かって貰いたいと思っているのではないでしょうか? だって、考えても見てください。ただでさえ10年分の記憶が抜けて自分は高校生だと信じて疑わない明日香さんに貴女の産んだ子供ですと言って対面させた場合、明日香さんが正常でいられると

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした   1-13 翔の新たな要求 1

     明日香が10年分の記憶を失い、高校生だと思い込んでいる話は朱莉にとってあまりにもショッキングな話であった。「朱莉さん、大丈夫かい? 顔色が真っ青だ」「は、はい。大丈夫です。でもそうなると今一番大変なのは翔先輩ではありませんか?」朱莉は翔のことが心配でならなかった。あれ程明日香を溺愛しているのだ。17歳の時、翔と明日香は交際していたのだろうか? ただ、少なくとも朱莉が入学した当時の2人は交際しているように見えた。「朱莉さん、翔が心配かい?」琢磨が少し悲し気な表情で尋ねてきた。「はい、とても心配です。勿論一番心配なのは明日香さんですけど」「やっぱり朱莉さんは優しい人なんだね」(あの2人に今迄散々蔑ろにされてきたのに……それらを全て許して今は2人をこんなに気に掛けて……)「何故翔さんは九条さんに連絡を入れてきたのですか? それに、どうして九条さんから私に説明することになったのでしょう?」朱莉は琢磨の瞳をじっと見つめた。「俺も、2日前に翔から突然メッセージが届いたんだよ。あの時は驚いた。翔と決別した時に、アイツはこう言ったんだよ。互いに二度と連絡を取り合うのをやめにしようと。こちらとしてはそんなつもりは最初から無かったけど、翔がそこまで言うのならと思って自分から二度と連絡するつもりは無かったんだ。それなのに突然……」そして、琢磨は近くを通りかかった店員に追加でマティーニを注文すると朱莉に尋ねた。「朱莉さんはどうする?」「それでは私はアルコール度数が低めのお酒で」「それなら、『ミモザ』なんてどうかな? シャンパンをオレンジジュースで割った飲み物だよ。アルコール度数も8度前後で、他のカクテルに比べると度数が低い」琢磨はメニュー表を見ながら朱莉に言った。「はい、ではそちらを頂きます」「かしこまりました」店員は頭を下げると、その場を立ち去っていく。すると琢磨が再び口を開いた。「明日香ちゃんは自分を高校生だと思い込んでいるから、当然翔の隣にはいつも俺がいるものだと思い込んでいるらしいんだ。考えてみればあの頃の俺達はずっと3人で一緒に高校生活を過ごしてきたようなものだからね。それで明日香ちゃんが目を覚ました時、翔に俺のことを聞いてきたらしい。『琢磨は何処にいるの?』って。それで一計を案じた翔が明日香ちゃんを安心させる為に、もう一度3人で会いた

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした   1-12 重大な話 2

    「九条さんが【ラージウェアハウス】の新社長に就任した話はニュースで知ったんです。あの時九条さん言ってましたよね? 鳴海グループにも負けない程のブランド企業にするって」「ああ、あの話か……。あれは……まあもう1人の社長にああいうふうに言えって半ば命令されたからさ。自分の意思で言った訳じゃ無いが正直、気分は良かったな」琢磨は笑みを浮かべる。「あの翔に一泡吹かせることが出来たみたいだし。初めはテレビインタビューなんて御免だと思ったけどね。大分、翔の奴は慌てたらしい」朱莉もカクテルを飲むと琢磨を見た。「え? その話は誰から聞いたんですか?」「会長だよ」琢磨の意外な答えに朱莉は驚いた。「九条さんは会長と個人的に連絡を取り合っていたのですか?」「ああ、そうだよ。実は以前から会長に秘書にならないかと誘われていたんだ。でも俺は翔の秘書だったから断っていたんだけどね」「そうだったんですか」あまりにも驚く話ばかりで朱莉の頭はついていくのがやっとだった。「それにしても朱莉さんも随分雰囲気が変わったよね? 前よりは積極的になったようだし、お酒も飲めるようになってきた。……ひょっとして沖縄で何かあったのかい?」琢磨の質問に朱莉は一瞬迷ったが、決めた。(九条さんだって話をしてくれたのだから、私も航君のこと、話さなくちゃ)「実は……」朱莉は沖縄での航との出会い、そして別れまでを話した。もっとも名前を明かす事はしなかったが。一方の琢磨は朱莉の話を呆然と聞いていた。(まさか朱莉さんが男と同居していたなんて。しかもあんなに頬を染めて嬉しそうに話してくるってことは……その男、朱莉さんに取って特別な存在だったのか?)朱莉が沖縄で男性と同居をしていた……その事実はあまりに衝撃的で、琢磨の心を大きく揺さぶった。「それでその彼とは東京へ戻ってからは音信不通……ってことなのかい?」内心の動揺を隠しながら琢磨は尋ねた。「はい。そうです。だから条さんとは連絡が取れて嬉しかったです。ありがとうございました」お酒でうっすら赤く染まった頬ではにかみながら琢磨にお礼を言う朱莉の姿は琢磨の心を大きく揺さぶった。「そ、そんな笑顔で喜んでくれるなんて思いもしなかったよ。でも……そうか。朱莉さんが以前よりお酒を飲めるようになったのはその彼のお陰なんだね?」「そうですね……。きっとそう

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした   1-11 重大な話 1

     食後――2人の前には今はアルコールだけが置かれている。朱莉のテーブルにはサングリア。琢磨の前にはマンハッタンが置かれいる。美しい夜景が見えるガラス窓にはその光景に見惚れている朱莉の姿が映っている。「朱莉さん」「はい、何でしょうか?」「すまなかった」振り向き、返事をする朱莉に琢磨は頭を下げた。「九条さん……」「沖縄から帰った後、黙って朱莉さんの前から消えて連絡も取れないようにしてしまったこと、本当に申し訳ないと思ってるんだ。ずっと謝りたかった。朱莉さんと会って話がしたいと思っていたんだ」「九条さんは、無責任に黙って姿を消すような人では無いと思っています。何か深い事情があったんですよね?」「そうだ。けど……いくら事情があったって、勝手にいなくなって本当に酷いことをしたと思っている。知り合いもいない沖縄に1人残して。本当のことを言えば……あのとき、一緒に東京へ朱莉さんを連れ帰りたかった」朱莉の目をじっと見つめる琢磨。「九条さん…」琢磨の突然の話に朱莉は息を飲んだ。(知らなかった……九条さんがそんな風に思っていてくれていたなんて……)「朱莉さんとのことで帰りの飛行機の中で翔と口論になって、社に帰ってからも険悪な状態で業務にも支障が出てしまったんだ。翔に言われたんだよ。お前はあまりにも私情を挟みすぎているって……」琢磨はそこでカクテルを煽るように飲むと、グラスを置いて続けた。「それで言われた。『もうお前とは一緒に仕事は出来ない、秘書をやめてくれ』って。だから俺は、それなら会社も辞めると言ったら、それなら二度と朱莉さんと連絡を取るなと言われたんだ。着信拒否にしろって命令されたしね」「そんなことがあったんですか?」「ああ。でも最後にやはり約束を破ってでも朱莉さんには連絡を入れるべきだった。だけど、それも後の祭りだ。俺が朱莉さんとの連絡に使用していたのは会社名義のスマホだったんだ。そこにしか朱莉さんの連絡先を入れていなかった。だから返却した後は連絡を取る手段が無かったんだ。我ながら抜けていたよ。まさか自分があの会社を辞めることになるとは一度も考えてもいなかったからね」自嘲気味に言う琢磨。「それで、以前からヘッドハントされていた会社に就職したんだ。好待遇で迎えると言われていたからね。でもまさかそのポストが社長だったとは思いもしなかった。一

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした   1-10 夜景の見えるレストランで 2

     琢磨と朱莉は50Fにある多国籍レストランに来ていた。美しい夜景が見えるように大きなガラス窓に対面した形でテーブルに座る。「すごい……こんなお店来るの初めてです」朱莉はホウッとため息をつきながら、窓から見える美しい夜景にすっかり目を奪われていた。琢磨はそんな朱莉の横顔を笑みを浮かべて見つめる。(良かった……朱莉さんが喜んでくれて……)久しぶりに会う朱莉は雰囲気も変わり、より一層美しくなっていた。(ひょっとして沖縄で何かあったのだろうか……?)朱莉のことをじっと見つめていると、突然朱莉が振り向いた。「九条さん、何だか雰囲気が変わりましたよね。以前より顔つきも精悍になったようですし」「ああ、そうかもね。入社してすぐに社長に就任したんだ。まだ27歳なのに。当然以前からいた社員達の中にはそのことを良く思わず、反発する人間も大勢いる。だから舐められないように身体を鍛えているからかもね」その言葉を聞き、琢磨がかなり苦労している様子が分かる。「身体を壊せば元も子もありませんからお休みの日はしっかり休んで下さいね?」朱莉は心配そうな表情で琢磨に声をかけた。「ありがとう、朱莉さん。でもそういう朱莉さんも何だか雰囲気が変わったね」「そうでしょうか?」「うん……何と言うか……その……以前よりも綺麗になった」朱莉に告げた後、琢磨は素直な自分の気持ちを伝えてしまったことに我ながら驚いてしまった。朱莉は琢磨の言葉に顔を赤くした。「き、綺麗になったなんて……そんな……」「ひょっとして沖縄で何かあった?」その時、丁度2人の前に料理が運ばれて来た。あらかじめ琢磨が指定していたセットメニューであった。次々と並べられていく料理に朱莉は目を見張った。あっと言う間にテーブルには様々な料理が揃った。フレンチからイタリアン、和風……他種多少な料理が美しく盛り付けられている。人の前にはシャンパンが置かれ、店員が下がると琢磨が尋ねた。「久しぶりの再会に乾杯しようか?」「そうですね」2人でグラスを持つと、互いにグラスを鳴らして琢磨はシャンパンを口にするのを見て朱莉もシャンパンを飲んだ。朱莉がグラスを置くのを見ながら琢磨は尋ねた。「朱莉さんは少しは飲めるようになったのかな?」「はい、そうですね。沖縄ではオリオンビールを良く飲んでいました」その言葉があまりに以外で琢磨

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